スリランカの王冠が博物館から消えた本当の理由

当時この王冠はキャンディ国立博物館に展示されていました。
強盗はこの貴重な王冠を奪いました。スリランカの王冠が博物館から消えた本当の理由をお話ししましょう。

写真は、ラジャシンハ2世が着用した銀製の王冠の複製で、現在はキャンディ国立博物館にあります。
73回目の独立記念日を祝う今、私たちは王冠が消えた真実をを知るべきです。
国宝は守られるだろうと思っていたにも拘らず、政府関係者の愚かさから大切な国宝は何も残されていないのです。
いくつかの話がありますが、「セイロンデイリーミラー」が発行されていた時期の話です。
ポルトガル人をキャンディ王国から追い出したラジャシンハ II世の「金の王冠」に関することです。イギリスがキャンディ王国を支配下に置くまで、王はスリランカの栄華を極めていました。
ラジャシンハ II世(1612-1687)は、戦士の誉であり、キャンディ王国の優れた剣士でした。ラジャシンハ II世の死は、キャンディ王国の終わりを告げました。
1638年3月29日にポルトガルの脅威を一掃したラジャシンハ II世の勇気を今でも称えています。
ポルトガル人と戦い、ドダンウェラナータデワァラに「ゴールデンクラウン」を手に入れたガンノルワの戦いが有名です。
彼が戦いの前にしていた誓いの習わしで、毎年ペラヘラで、オリジナルの輿と王冠のレプリカを使い、このイベントは今でも行われています。
王冠は何十年もの間カプララとバスナヤケ・ニラメスによって守られていましたが、デベール(神社)では安全ではないと考え,考古学部はキャンディ国立博物館に移しました。しかし、王冠は博物館から強盗に持ち去られてしまいました。
ラジャシンハ II世は、王冠を服従の誓いとして提示することでランドマーク(歴史的象徴)を残しました。
戦時の2人の司令官は、王のウィジェパーラ将軍と、ポルトガル人のDigeodeMeloでした。
ポルトガル人の損失は約4000人にのぼり、キャンディ王国軍の数は不明です。
王冠が盗まれたという話が飛び交う中、パスガマデブルに保管されていた2本の牙も同様に跡形もなく消えました。1961年9月18日に博物館にあった王冠の記録が削除されていました。
キャンディ警察は、強盗の追跡調査に失敗しました。
その後、犯罪捜査局が捜査を引き継ぎ、キャンディにいたロドニー・キトゥレゴダ警部に手渡されました。
ケラニヤにジュエリーの大量のコレクションを扱う元受刑者がいたことが明らかになりました。彼はキルティパラという別の元受刑者と接触していました。
捜査官キツレゴダの命令により、すぐに監視チームがその地域の周りに配置されました。L.Eペレラの家の近くで10月初旬までに捜査し、ゴール警察はキリチプラとL.E.ペレラを逮捕しました。
二人をコロンボに連れていき、LE.ペレラの家を捜索するための捜査令状も取得しました。そこには、赤い宝石、金の切り抜き、ペンチが見つかりました。
警察に呼ばれ宝石を鑑定したキャンディ国立博物館の学芸員は、これが消えた王冠に間違いないだろうと言いました。
強盗のキルティパラは博物館の屋上に登り天井からギャラリーに入り、陳列ボックスを無理やり開けて、王が身に着けていた他の物には見向きもせず、王冠を取り出し持ち去りました。
王冠を持ち去り、踏みつけ平らにした王冠を紙袋に入れ、ジョンに会うためにバス停に行きました。
二人ともバスに乗り、コロンボに向かうつもりでしたが、マワネラでジョンと別れ、キルティパラだけコロンボに行きました。
その後、キルティパラは王冠を細かく砕き、別の元受刑者のソメイにそれを宝石商に売るように頼んだのです。
歴史的価値の高いこの貴重な王冠は無残に砕かれ、2000ルピーで販売されました。